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広島高等裁判所 昭和55年(う)54号 判決

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は弁護人平川実作成の控訴趣意書記載のとおりであり(なお、弁護人は第一回公判期日において、右控訴趣意書中八枚目四行目の「押収された」から同六行目の「記録上判明できず、」までの部分を撤回する旨陳述した。)、これに対する答弁は検察官立山正秋作成の答弁書記載のとおりであるから、ここにこれらを引用する。

これに対する当裁判所の判断は次のとおりである。

控訴趣意第一点(訴訟手続の法令違反の主張)について

所論は要するに、「(一)本件起訴状記載の公訴事実によつては犯行の日時、場所、方法、覚せい剤の使用量の特定は不十分で、審判の対象を特定したことにならず、被告人の防禦権の行使に重大な支障を来たすものであるから、かかる公訴の提起は違法であり、公訴棄却の判決をすべきであるのに、その挙に出なかつた原判決には訴訟手続に関する法令(刑事訴訟法三三五条一項、三三八条四号、二五六条三項)に違反した違法があり、(二)また、公判審理の過程で訴因の特定が可能となつた場合には、その時点において、訴因変更の手続をなすべきであるところ、本件犯行の日時については、証人山本和夫の証言がなされた段階で被告人が覚せい剤を使用したのは昭和五四年九月三〇日ころから逮捕された同年一〇月三日までの間であることが計算上明らかとなつて、訴因の特定が可能となつたのであり、本件犯行の場所、方法、使用の量については被告人は公判廷で住居地の有限会社山岡組事務所において耳かき四杯位の覚せい剤を服用した旨供述しているのであるから、右の供述のなされた段階で訴因の特定が可能となつたのに、原審裁判所は右の諸点について訴因変更の手続をとらず、起訴状記載の公訴事実の犯行日時の期間を短縮したのみで、その余はこれと殆んど同一の事実を認定したもので、この点からするも訴訟手続の法令違反があり、以上(一)、(二)の訴訟手続の法令違反はいずれも判決に影響を及ぼすことが明らかである。」というのである。

そこで、本件記録を精査して検討するに、本件起訴状記載の公訴事実は「被告人は、法定の除外事由がないのに、昭和五四年九月二六日ころから同年一〇月三日までの間、広島県高田郡吉田町内及びその周辺において、覚せい剤であるフエニルメチルアミノプロパン塩類を含有するもの若干量を自己の身体に注射又は服用して施用し、もつて覚せい剤を使用したものである。」というにあつて、犯行の日時を八日間の期間内とし、犯行の場所も吉田町及びその周辺とし、使用した覚せい剤の量及び使用方法につき具体的な表示をしていないことは所論のとおりである(なお、右公訴事実中「施用」とあるのは、覚せい剤施用機関において医師又は覚せい剤研究者が治療又は研究目的のために患者などの身体に注射、経口投与などすること、及び右医師、研究者から治療、研究目的のため覚せい剤の交付をうけた者が自己の身体に注射、服用などすることをいうのであるから((覚せい剤取締法一九条二号、四号参照))、本件の場合に「施用」の語を用いるのは、「使用」の意味で用いられていることが明白であるとはいえ、不適切な表現といわなければならない。)。しかしながら、刑事訴訟法二五六条三項において、公訴事実は訴因を明示してこれを記載しなければならない、訴因を明示するには、できる限り日時、場所及び方法をもつて罪となるべき事実を特定してこれをしなければならないと規定する所以のものは、所論のとおり裁判所に対し審判の対象を限定するとともに、被告人に対し、防禦の範囲を示すことを目的とするものと解されるところ、犯罪の日時、場所及び方法はこれらの事実が犯罪を構成する要素になつている場合を除き、本来は、罪となるべき事実そのものではなく、ただ訴因を特定する一手段として、できる限り具体的に表示すべきことを要請されているのであるから、犯罪の種類、性質等の如何により、これを詳らかにすることができない特殊の事情がある場合には、前記法の目的を害さないかぎりの幅のある表示をしても、その一事のみをもつて、罪となるべき事実を特定しない違法があるということはできない(最高裁判所昭和三七年一一月二八日大法廷判決、刑事一六巻一一号一六三三頁参照)。これを本件についてみると、検察官は原審第一回公判における冒頭陳述として、被告人は公訴事実記載の日時の間は、前記吉田町及び賀茂郡豊栄町内におり、その間に覚せい剤を自己使用し、一〇月五日尿を警察官に任意提出し、鑑定の結果覚せい剤が検出された事実を立証する旨陳述していること、本件犯行の日時、覚せい剤使用量、使用方法につき具体的表示がされない理由は、被告人が終始否認しているか、供述があいまいであり、目撃者もいないためであることが推認できること、覚せい剤の自己使用は犯行の具体的内容についての捜査が通常極めて困難であることを合わせ考えると、本件はまさに上述の特殊の事情がある場合に当るものというべく、また、本件は、被告人が一〇月五日に警察官に任意提出した尿から検出された覚せい剤を自己の体内に摂取したその使用行為の有無が争点となるものであるから、本件の審判の対象と被告人の防禦の範囲はおのずから限定されているというべきであり、被告人の防禦に実質的な障害を与えるおそれも存しない。従つて、原判決には所論指摘の訴訟手続の法令違反はない。

次に、起訴状記載の公訴事実が、特殊な事情から訴因の具体的表示ができない場合であつても、右特殊な事情が解消し、これが可能となり、可能となつた訴因により有罪判決をする場合には、裁判所は訴因変更の手続をとつて訴因を特定しなければならないことは所論のとおりである。ところで、原審第三回公判廷において証人山本和夫の証言がなされた段階で、覚せい剤の使用(注射又は経口服用)後の体内残留の時間的限度から被告人が覚せい剤を使用したのは昭和五四年九月三〇日ころから同年一〇月三日(逮捕時)までの間であることが明らかになつたことは所論のとおりであるが、右は使用日時が明確に特定されたわけでなく、公訴事実記載の使用日時の範囲内で若干期間を限定するに至つたものに過ぎないから、訴因変更の手続をしないで、右限定された期間を認定した原判決に直ちに訴訟手続の法令違反があるとまでは認められない。また、覚せい剤使用の場所、方法、使用の量については、被告人が原審第二回公判廷において所論のような供述をしていることが認められるものの、右の供述は、同年九月二二、三日ころ後記別件の被疑事件で逮捕されるおそれがあつたので、所持していた覚せい剤を処分しようと考え、水溶液にしたうえ、注射器ですいとつて飲んだというのであつて、覚せい剤を服用したという日時の点は前記山本和夫の証言その他の関係証拠から認められる前記の使用日時と明らかに矛盾し、真実性に乏しいほか、供述内容が極めて不合理、不自然であつて到底措信することができない反面、関係証拠からすれば被告人のもとから発見された注射筒に覚せい剤が付着しており、逮捕当時被告人の右腕前腕部に注射痕と思われる痕跡が認められたことからすると、被告人は覚せい剤を注射して使用したものと考えられるが断定し難いことは、原判決の説示するとおりであつて、結局覚せい剤の使用場所、方法、使用量については、未だ上述の特殊の事情が解消し、これらの訴因につき具体的表示が可能になつたとは認め難い。従つて、所論のように訴因変更の手続をしなかつた点について原判決に訴訟手続の法令違反はない。論旨は理由がない。

控訴趣意第二点(訴訟手続の法令違反事実誤認の主張)について

所論は要するに、「本件公訴事実について被告人を有罪とする証拠は違法な手段によつて収集されたものである。すなわち被告人は、昭和五四年一〇月三日暴力行為等処罰に関する法律違反の罪で嫌疑で逮捕されたが、数日間で釈放されるべきであつたのに、取調べ警察官の私情から勾留され、合計約二一日間にわたり拘禁されて、その間全く別異の事件である本件覚せい剤取締法違反の事件で捜査され、その裏付けができた後、本件について逮捕されるに至つたものである。従つて、本件について被告人を有罪とする証拠(「鑑定結果について(回答)」と題する書面二通、原審証人山本和夫の公判廷における供述、鑑定嘱託書二通、尿についての任意提出書及び領置調書、写真撮影報告書、捜査状況報告書二通、「鑑定書の送付について」と題する書面)は、被告人を違法に拘禁して採取した証拠であつて証拠能力がない。原判決が右の証拠能力がない証拠に依拠して本件公訴事実について被告人を有罪と認めたのは、訴訟手続の法令に違反し、ひいては事実を誤認したものであつて、右の違法は判決に影響を及ぼすことが明らかである。」というのである。

そこで、本件記録を精査し、当審における事実取調べの結果をも加えて検討するに、被告人は昭和五四年一〇月三日暴力行為等処罰に関する法律違反の罪(被告人が河野繁雄に対し、同人が被告人の妻と関係したと疑つて鉈を振りあげたという事件)で逮捕されて引続き勾留され、右の勾留が延長されて、同月二四日処分保留のまま釈放され、即日本件により逮捕されたこと、被告人は右の暴力行為等処罰に関する法律違反の罪による勾留中に同罪について取調べを受け、検察官による最終の取調べがなされたのは釈放前日の同月二三日であること、同月三日右事件の兇器である鉈を差押えるため被告人経営の有限会社山岡組の飯場、自動車の捜索を行つたところ注射器二個が発見され、その任意提出を受けてこれを領置し、翌四日被告人の同意を得てその右腕の写真撮影を行い、同月五日被告人の尿の任意提出を受けて領置し、鑑定の結果前記の尿と山岡組の飯場から発見領置された注射器より覚せい剤が検出されるに至つたことが明らかである。以上の事実関係に基いて、所論の当否を検討すると、前記暴力行為等処罰に関する法律違反の事件は、犯罪事実自体は比較的単純であつても、その背景について被害者と被告人の妻との不倫な関係の疑があるなど具体的な事情のいかんによつては不起訴となることも考えられるのであるから、右の背景事情などを含めて捜査するためには相当の期間を必要とすることも考えられ、記録を精査しても所論のように取調べ警察官の私情から必要もないのに勾留がなされたものと疑うべき事情はこれを窺うことはできない。また、弁護人が証拠能力がないと主張する各証拠のうち被告人の尿の任意提出書、領置調書、鑑定結果についての回答書が、いずれも被告人が前記別件の被疑者として逮捕、勾留中に作成されたものであつて、原判決がこれらを有罪認定の証拠として揚げていることは所論のとおりであるが、右証拠は、原審公判廷において、いずれも弁護人において、何らの異議申立なく、これらを証拠とすることに同意がなされているのみでなく、原判決が証拠として揚げる右の各証拠のうち前記暴力行為等処罰に関する法律違反の事件による被告人の身柄拘束を直接利用して得られた被告人の尿については、当審における事実取調べの結果によるも被告人が全く任意に提出したものであることが明らかである。右の各証拠のうちその余のものは、いずれも別件による被告人の身柄拘束中に作成されたものであるとしても、右身柄拘束を利用して捜査官が収集した証拠でないことが明らかである。従つて、これらの各証拠の証拠能力を否定すべきいわれは存しないから、この点の所論は失当というほかはない。

なお、所論中には、仮に右の各証拠の証拠能力が認められたとしても、被告人が本件犯行をしたものとは断定できない旨の主張があるが、被告人が本件覚せい剤を、自己の体内にその水溶液を注射器により注入したか、又は経口服用したのか明確でないことは所論指摘のとおりであるが、被告人が本件覚せい剤を自己使用したことが明らかであり、その使用方法の具体的態様を明らかにし得ない上述の特殊の事情が認められる本件では、所論のように疑わしきは被告人の利益に従つて無罪とすべきではないといわなければならない。而して、原判決挙示の各証拠によれば原判示の事実は優にこれを肯認することができ、(なお、原判決中「施用」を「使用」の趣旨で用いている点については、これが適切でないことは前説示のとおりである。)当審における事実取調べの結果を加えても右の結論を左右するに足りない。

よつて、原判決には所論の訴訟手続の法令違反ひいては事実誤認の違法はなく、論旨は理由がない。

控訴趣意第三点(量刑不当の主張)について

所論は要するに、仮に被告人が有罪であるとしても、原判決の量刑は重きに失し、不当であるというのである。

しかし、本件記録及び当審において取り調べた証拠にあらわれている被告人の年齢、経歴、境遇及び犯罪の情状、とりわけ被告人は昭和五四年一月一二日広島地方裁判所三次支部において覚せい剤取締法違反の罪により懲役五月、三年間執行猶予(保護観察付)の刑に処せられ、右猶予の期間中であるのに本件犯行に至つたものであつて、犯行の動機にも特に酌むべき点はなく、反省の情に乏しいことなどに鑑みると、被告人の刑責は軽視し難く、本件の裁判の確定により前記の刑の執行猶予が取り消されること、被告人の現在の心境、家庭の事情など所論指摘の諸事情を斟酌しても、被告人に対し刑の執行を猶予することが許されないことはもとより、被告人を懲役七月に処した原判決の量刑が重きに失し不当であるとは認められない。論旨は理由がない。

よつて、刑事訴訟法三九六条に則り本件控訴を棄却することとして主文のとおり判決する。

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